トヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査してみた!(前編)
大学4年生になってから、私は運動がてら自転車で出かけることが多くなりました。そのついでに、道路や鉄道の調査もしており、過去には富士市の廃道や廃線を訪れています( こちらの記事 参照)。
「"西"へ行ったなら"北"にも行かなければ!」という安易な発想の結果、今回は裾野市と御殿場市の境界付近にあるという、トヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査することにしました。
2月2日の午後に沼津市内の自宅を出発し、静岡県道394号線(旧:国道246号線)をひたすら北上します。この日は、午前中まで雨が降っていたにも関わらず気温が20度を超え、とても2月上旬とは思えない気温でした。
目的地まではずっと登りこう配が続くため、私の脚力ではほとんど速度を出すことはできません。この県道394号線には、ほぼ並走して御殿場線が走っており、いかに御殿場線のこう配が急なものであるかを知らされます。むしろ、一人乗りの自転車ですらキツい登りこう配を、何百人という客を乗せて平然と走っている現代の列車は、やはりすごいものです。

途中、事故多発路線であることを警告する看板を見つけましたが・・・

これは大丈夫なのでしょうか(著作権的な意味で)w
ちなみに、他にも数ヶ所で同様の看板を発見しましたが、すべてこの方でした。

そして、出発から約1時間30分ほど掛けて、目的地に到着しました。御殿場線の富士岡駅~岩波駅間にある神山架道橋です。ちなみに、沼津駅の標高は7m、岩波駅は248mですから、相当登ってきたことになります。

この架道橋の手前には、橋桁の架かっていない橋台が残っています。これこそが、トヨタ自動車東富士工場の専用線のものです。岩波駅を出てから最初に見られる遺構で、御殿場線ともほぼ並走していることから、専用線はこの付近で御殿場線から分岐していたようです。

架道橋跡の先、しばらくは専用線の築堤が緩やかな左カーブを描きながら続きます。
大きな地図で見る
ちなみに、現在地はこの地図の中心付近となります。ここから、左上へ向かって調査していきます。

築堤にはカーブミラーが設置され、現在も利用されていますw この小ささでは役に立っているのか分かりませんが・・・。
それにしても、廃線とは思えないほど立派な築堤です。

しばらく進むと、ガードが現れます。こちらは橋桁も残っており、先ほどの地図にも記載されていたりします。橋梁の上に生えた木が、廃止されてからの時間を感じさせますね。

ガードを潜った先から、振り返って撮影した写真です。左側の架線柱が御殿場線、右側が専用線です。このあたりから、専用線は御殿場線から離れていきます。

ガードを過ぎると、専用線はコンクリート製の立派な築堤から盛り土へと変わります。気づけば、築堤自体の高さもだいぶ低くなっているので、このあたりで路盤に登ってみることにしました。
レールが残ってる!
築堤の上は、ほぼそのままの状態で残っているようです。しかし、植物が成長してしまっており、このまま進むのは難しそうです。それでも、以前来た時よりはよっぽどマシですが・・・。
←以前来た時(ほぼ同地点)
実は、ここに来たのは今回が初めてではなかったりします。昨年の11月にも一度訪れており、その時はススキの"もふもふ"は舞うわ、トゲトゲは衣服に付着するわで散々でした(orz
今回は、その時のリベンジという意味もあったりします。どうもこの専用線は、植物が衰退する真冬に訪れたほうが良いようです。

ちなみに、後ろを振り返るとこのように御殿場線から離れていく様子が分かります。こちら側も、植物が成長しており、進めそうにありませんが・・・。真冬に来てもこの様子だと、どの時期に来てもこの場所の探索は難しそうですね。

というわけで、路盤を降り、再び築堤沿いを歩くことにしました。前方には国道246号線の久保川橋が見えてきました。

小さな暗渠を発見しました。高さや幅からして、歩行者・自転車専用のようです。せっかくなので通ってみましょうw

暗渠の反対側です。こちら側は随分と簡素な造りで、暗渠に通じる道路なども無く暗渠の存在意味がよく分かりません。ただ、暗渠内の路盤にはパイプが通っており、何かしら利用されてはいるようですが・・・。
ここで、再び路盤に登ってみることにします。

相変わらず植物は多いものの、普通に歩ける程度にまでおとなしくなっています。しかし、トゲトゲがまだ残っていたりするので、足元に注意しながら進みます。

レールの間に立派な木が育っています。ここまで成長するには相当な年月が必要なはずです。この専用線の廃止年月は分かっていませんが、そう最近ではないのは確かなようです。
専用線はまだまだ席へ続いていますが、続きは次回の記事で書いていきます。
「"西"へ行ったなら"北"にも行かなければ!」という安易な発想の結果、今回は裾野市と御殿場市の境界付近にあるという、トヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査することにしました。
2月2日の午後に沼津市内の自宅を出発し、静岡県道394号線(旧:国道246号線)をひたすら北上します。この日は、午前中まで雨が降っていたにも関わらず気温が20度を超え、とても2月上旬とは思えない気温でした。
目的地まではずっと登りこう配が続くため、私の脚力ではほとんど速度を出すことはできません。この県道394号線には、ほぼ並走して御殿場線が走っており、いかに御殿場線のこう配が急なものであるかを知らされます。むしろ、一人乗りの自転車ですらキツい登りこう配を、何百人という客を乗せて平然と走っている現代の列車は、やはりすごいものです。

途中、事故多発路線であることを警告する看板を見つけましたが・・・

これは大丈夫なのでしょうか(著作権的な意味で)w
ちなみに、他にも数ヶ所で同様の看板を発見しましたが、すべてこの方でした。

そして、出発から約1時間30分ほど掛けて、目的地に到着しました。御殿場線の富士岡駅~岩波駅間にある神山架道橋です。ちなみに、沼津駅の標高は7m、岩波駅は248mですから、相当登ってきたことになります。

この架道橋の手前には、橋桁の架かっていない橋台が残っています。これこそが、トヨタ自動車東富士工場の専用線のものです。岩波駅を出てから最初に見られる遺構で、御殿場線ともほぼ並走していることから、専用線はこの付近で御殿場線から分岐していたようです。

架道橋跡の先、しばらくは専用線の築堤が緩やかな左カーブを描きながら続きます。
大きな地図で見る
ちなみに、現在地はこの地図の中心付近となります。ここから、左上へ向かって調査していきます。

築堤にはカーブミラーが設置され、現在も利用されていますw この小ささでは役に立っているのか分かりませんが・・・。
それにしても、廃線とは思えないほど立派な築堤です。

しばらく進むと、ガードが現れます。こちらは橋桁も残っており、先ほどの地図にも記載されていたりします。橋梁の上に生えた木が、廃止されてからの時間を感じさせますね。

ガードを潜った先から、振り返って撮影した写真です。左側の架線柱が御殿場線、右側が専用線です。このあたりから、専用線は御殿場線から離れていきます。

ガードを過ぎると、専用線はコンクリート製の立派な築堤から盛り土へと変わります。気づけば、築堤自体の高さもだいぶ低くなっているので、このあたりで路盤に登ってみることにしました。

築堤の上は、ほぼそのままの状態で残っているようです。しかし、植物が成長してしまっており、このまま進むのは難しそうです。それでも、以前来た時よりはよっぽどマシですが・・・。

実は、ここに来たのは今回が初めてではなかったりします。昨年の11月にも一度訪れており、その時はススキの"もふもふ"は舞うわ、トゲトゲは衣服に付着するわで散々でした(orz
今回は、その時のリベンジという意味もあったりします。どうもこの専用線は、植物が衰退する真冬に訪れたほうが良いようです。

ちなみに、後ろを振り返るとこのように御殿場線から離れていく様子が分かります。こちら側も、植物が成長しており、進めそうにありませんが・・・。真冬に来てもこの様子だと、どの時期に来てもこの場所の探索は難しそうですね。

というわけで、路盤を降り、再び築堤沿いを歩くことにしました。前方には国道246号線の久保川橋が見えてきました。

小さな暗渠を発見しました。高さや幅からして、歩行者・自転車専用のようです。せっかくなので通ってみましょうw

暗渠の反対側です。こちら側は随分と簡素な造りで、暗渠に通じる道路なども無く暗渠の存在意味がよく分かりません。ただ、暗渠内の路盤にはパイプが通っており、何かしら利用されてはいるようですが・・・。
ここで、再び路盤に登ってみることにします。

相変わらず植物は多いものの、普通に歩ける程度にまでおとなしくなっています。しかし、トゲトゲがまだ残っていたりするので、足元に注意しながら進みます。

レールの間に立派な木が育っています。ここまで成長するには相当な年月が必要なはずです。この専用線の廃止年月は分かっていませんが、そう最近ではないのは確かなようです。
専用線はまだまだ席へ続いていますが、続きは次回の記事で書いていきます。
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