トヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査してみた!(後編)
※この記事は、「トヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査してみた!(前編)」の続きとして書いています。 こちらの記事 も併せてご覧ください。

御殿場線の岩波駅付近から分岐していたトヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査中の私。まもなく、国道246号線の久保川橋を潜ろうというところです。
大きな地図で見る
現在地は、この地図の中心付近です。ここから、左のほうへ向かっていきます。

と、レールの間にたくさんのレールが並べられています。これは一体・・・

なんと、国道246号線の直下で数メートルに渡って路盤がごっそり無くなっています。先ほど並べられていたレールは、この部分に敷かれていたものなのでしょう。

この部分を横から見ると、ちょうど車1台が通行できる幅に路盤が切り取られていました。かつてはここに車を通す必要があったのでしょうが、現在は通行する車は皆無で、写真の奥に写っている車も廃車体のようです。
ここから見ると、廃線跡には見えませんね。ちなみに、手前に写っている橋脚は国道246号線のものです。

路盤消失部分を過ぎると、専用線はすぐに橋に差し掛かります。レールもちゃっかり復活し、専用線はほぼ完全な状態で残っています。この橋は定期的に通行人がいるようで、左側に植物が全く生えていない部分があります。

この橋、国道246号線の久保川橋からもよく見えるため、非常に目立ちます。実は、先ほどの地図にも載っていたりするので、探してみてください。
で、皆さんも気づいているかもしれませんが、この写真でひとつ気になることが・・・

この橋脚跡みたいなの、何?
もしかすると、この橋には旧橋があったのかもしれません。しかし、現橋の真下に旧橋の痕跡があるのは疑問が残ります。この場合、旧橋を取り壊してから現橋を架けたことになり、旧橋を取り壊してから現橋ができるまでの間、列車の運行ができなくなってしまいます。仮設橋を架けていたという可能性もありますが、そのような痕跡はありませんでしたし、"専用線"という規格を考えると、この可能性は低いと思われます。
個人的には、もともとこの場所には橋が架かっており、専用線を建設する際にルートが橋と重なったため、もともとの橋を撤去して新たに鉄道用の橋を架けたのではないかと推測していますが・・・。何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授ください。

橋を渡り終えると、続いて目の前には東名高速道路が現れます。ここで道路を横断しますが、踏切などの痕跡はまったく残っていませんでした。

専用線は、東名高速道路を暗渠で通過します。真冬にも関わらず、すごい藪です・・・。しかし、以前来た時と比べれば全然マシです。
←以前来た時
少しアングルは異なりますが、昨年11月に訪れた時の様子です。この光景を見た瞬間、先へ進む気が失せてしまいました・・・。今回は、前回のリベンジもあるので、多少藪漕ぎをしてでも先へ進みます!
美しい・・・
まるで、この暗渠の中だけ時間が止まっているかのようです。先ほどの藪が嘘のように、バラストから枕木、レールに至るまで、完全な状態で残っています。ここだけ見れば、列車が走ってきてもおかしくありません。

ちなみに、この暗渠には「御殿場49」というプレートが設置されていました。この暗渠があるということは、東名高速道路を建設した時には、この専用線は現役だったということになります。なお、東名高速道路のこの区間の開通は1969年です。

美しい光景は長くは続きません。暗渠を出た瞬間、すぐに藪が待ち受けています・・・。

暗渠の先は、どうやらすぐに橋になっているようです。先ほどの橋とは異なり、橋の上はどこも植物に覆われています。真冬のこの時期にこれだけ酷い藪なのですから、夏場はとても歩ける状態ではないでしょう。

橋を渡り終える頃には、逆光も相まって訳の分からない状態に・・・。
それにしても、橋に暗渠に築堤・・・専用線としてはかなり良い規格で造られているように感じます。廃止されているのがもったいないです。

藪を避けるために身を屈めると、レールを発見しました(写真下)!
そして、この先は開けた場所に出るようで、ガードレールが見えます。これこそが、専用線の目的地である「トヨタ自動車東富士工場」の敷地に間違いありません。工場内にも専用線は続いていますが、工場内は立入禁止なので、ここで引き返すことにします。

横を見ると、鉄道門とゲートらしきものを発見! すっかり錆びて役目を果たさなくなっていますが、こんなものまで残っているとは驚きです。
というわけで、トヨタ自動車東富士工場の専用線跡の調査を終えました。分岐点からここまで500mほどの短い専用線でいた。
私が調査委した限りでは、この専用線は1969年から1972年の間に開通したようで、これは東名高速道路の暗渠や航空写真から考えても妥当だと思われます。そして、この専用線の廃止年月ですが、現状では分かっていません。1980年に撮影された航空写真では専用線上に貨車が確認できることから、この頃はまだ専用線は使用されていたと思われます。また、1984年に撮影された航空写真では貨車を確認できず、この辺りで廃止された可能性が高いと思われますが、確定はできません。
しかし、仮に1969年から1984年まで現役だったとすると、15年間しか使用されていなかったことになります。あれだけの橋や暗渠、築堤を建設しておきながら、あまりにももったいないですね・・・。
短いながら、非常に調査しがいのある専用線跡でした。

御殿場線の岩波駅付近から分岐していたトヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査中の私。まもなく、国道246号線の久保川橋を潜ろうというところです。
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現在地は、この地図の中心付近です。ここから、左のほうへ向かっていきます。

と、レールの間にたくさんのレールが並べられています。これは一体・・・

なんと、国道246号線の直下で数メートルに渡って路盤がごっそり無くなっています。先ほど並べられていたレールは、この部分に敷かれていたものなのでしょう。

この部分を横から見ると、ちょうど車1台が通行できる幅に路盤が切り取られていました。かつてはここに車を通す必要があったのでしょうが、現在は通行する車は皆無で、写真の奥に写っている車も廃車体のようです。
ここから見ると、廃線跡には見えませんね。ちなみに、手前に写っている橋脚は国道246号線のものです。

路盤消失部分を過ぎると、専用線はすぐに橋に差し掛かります。レールもちゃっかり復活し、専用線はほぼ完全な状態で残っています。この橋は定期的に通行人がいるようで、左側に植物が全く生えていない部分があります。

この橋、国道246号線の久保川橋からもよく見えるため、非常に目立ちます。実は、先ほどの地図にも載っていたりするので、探してみてください。
で、皆さんも気づいているかもしれませんが、この写真でひとつ気になることが・・・

この橋脚跡みたいなの、何?
もしかすると、この橋には旧橋があったのかもしれません。しかし、現橋の真下に旧橋の痕跡があるのは疑問が残ります。この場合、旧橋を取り壊してから現橋を架けたことになり、旧橋を取り壊してから現橋ができるまでの間、列車の運行ができなくなってしまいます。仮設橋を架けていたという可能性もありますが、そのような痕跡はありませんでしたし、"専用線"という規格を考えると、この可能性は低いと思われます。
個人的には、もともとこの場所には橋が架かっており、専用線を建設する際にルートが橋と重なったため、もともとの橋を撤去して新たに鉄道用の橋を架けたのではないかと推測していますが・・・。何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授ください。

橋を渡り終えると、続いて目の前には東名高速道路が現れます。ここで道路を横断しますが、踏切などの痕跡はまったく残っていませんでした。

専用線は、東名高速道路を暗渠で通過します。真冬にも関わらず、すごい藪です・・・。しかし、以前来た時と比べれば全然マシです。

少しアングルは異なりますが、昨年11月に訪れた時の様子です。この光景を見た瞬間、先へ進む気が失せてしまいました・・・。今回は、前回のリベンジもあるので、多少藪漕ぎをしてでも先へ進みます!

まるで、この暗渠の中だけ時間が止まっているかのようです。先ほどの藪が嘘のように、バラストから枕木、レールに至るまで、完全な状態で残っています。ここだけ見れば、列車が走ってきてもおかしくありません。

ちなみに、この暗渠には「御殿場49」というプレートが設置されていました。この暗渠があるということは、東名高速道路を建設した時には、この専用線は現役だったということになります。なお、東名高速道路のこの区間の開通は1969年です。

美しい光景は長くは続きません。暗渠を出た瞬間、すぐに藪が待ち受けています・・・。

暗渠の先は、どうやらすぐに橋になっているようです。先ほどの橋とは異なり、橋の上はどこも植物に覆われています。真冬のこの時期にこれだけ酷い藪なのですから、夏場はとても歩ける状態ではないでしょう。

橋を渡り終える頃には、逆光も相まって訳の分からない状態に・・・。
それにしても、橋に暗渠に築堤・・・専用線としてはかなり良い規格で造られているように感じます。廃止されているのがもったいないです。

藪を避けるために身を屈めると、レールを発見しました(写真下)!
そして、この先は開けた場所に出るようで、ガードレールが見えます。これこそが、専用線の目的地である「トヨタ自動車東富士工場」の敷地に間違いありません。工場内にも専用線は続いていますが、工場内は立入禁止なので、ここで引き返すことにします。

横を見ると、鉄道門とゲートらしきものを発見! すっかり錆びて役目を果たさなくなっていますが、こんなものまで残っているとは驚きです。
というわけで、トヨタ自動車東富士工場の専用線跡の調査を終えました。分岐点からここまで500mほどの短い専用線でいた。
私が調査委した限りでは、この専用線は1969年から1972年の間に開通したようで、これは東名高速道路の暗渠や航空写真から考えても妥当だと思われます。そして、この専用線の廃止年月ですが、現状では分かっていません。1980年に撮影された航空写真では専用線上に貨車が確認できることから、この頃はまだ専用線は使用されていたと思われます。また、1984年に撮影された航空写真では貨車を確認できず、この辺りで廃止された可能性が高いと思われますが、確定はできません。
しかし、仮に1969年から1984年まで現役だったとすると、15年間しか使用されていなかったことになります。あれだけの橋や暗渠、築堤を建設しておきながら、あまりにももったいないですね・・・。
短いながら、非常に調査しがいのある専用線跡でした。
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トヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査してみた!(前編)
大学4年生になってから、私は運動がてら自転車で出かけることが多くなりました。そのついでに、道路や鉄道の調査もしており、過去には富士市の廃道や廃線を訪れています( こちらの記事 参照)。
「"西"へ行ったなら"北"にも行かなければ!」という安易な発想の結果、今回は裾野市と御殿場市の境界付近にあるという、トヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査することにしました。
2月2日の午後に沼津市内の自宅を出発し、静岡県道394号線(旧:国道246号線)をひたすら北上します。この日は、午前中まで雨が降っていたにも関わらず気温が20度を超え、とても2月上旬とは思えない気温でした。
目的地まではずっと登りこう配が続くため、私の脚力ではほとんど速度を出すことはできません。この県道394号線には、ほぼ並走して御殿場線が走っており、いかに御殿場線のこう配が急なものであるかを知らされます。むしろ、一人乗りの自転車ですらキツい登りこう配を、何百人という客を乗せて平然と走っている現代の列車は、やはりすごいものです。

途中、事故多発路線であることを警告する看板を見つけましたが・・・

これは大丈夫なのでしょうか(著作権的な意味で)w
ちなみに、他にも数ヶ所で同様の看板を発見しましたが、すべてこの方でした。

そして、出発から約1時間30分ほど掛けて、目的地に到着しました。御殿場線の富士岡駅~岩波駅間にある神山架道橋です。ちなみに、沼津駅の標高は7m、岩波駅は248mですから、相当登ってきたことになります。

この架道橋の手前には、橋桁の架かっていない橋台が残っています。これこそが、トヨタ自動車東富士工場の専用線のものです。岩波駅を出てから最初に見られる遺構で、御殿場線ともほぼ並走していることから、専用線はこの付近で御殿場線から分岐していたようです。

架道橋跡の先、しばらくは専用線の築堤が緩やかな左カーブを描きながら続きます。
大きな地図で見る
ちなみに、現在地はこの地図の中心付近となります。ここから、左上へ向かって調査していきます。

築堤にはカーブミラーが設置され、現在も利用されていますw この小ささでは役に立っているのか分かりませんが・・・。
それにしても、廃線とは思えないほど立派な築堤です。

しばらく進むと、ガードが現れます。こちらは橋桁も残っており、先ほどの地図にも記載されていたりします。橋梁の上に生えた木が、廃止されてからの時間を感じさせますね。

ガードを潜った先から、振り返って撮影した写真です。左側の架線柱が御殿場線、右側が専用線です。このあたりから、専用線は御殿場線から離れていきます。

ガードを過ぎると、専用線はコンクリート製の立派な築堤から盛り土へと変わります。気づけば、築堤自体の高さもだいぶ低くなっているので、このあたりで路盤に登ってみることにしました。
レールが残ってる!
築堤の上は、ほぼそのままの状態で残っているようです。しかし、植物が成長してしまっており、このまま進むのは難しそうです。それでも、以前来た時よりはよっぽどマシですが・・・。
←以前来た時(ほぼ同地点)
実は、ここに来たのは今回が初めてではなかったりします。昨年の11月にも一度訪れており、その時はススキの"もふもふ"は舞うわ、トゲトゲは衣服に付着するわで散々でした(orz
今回は、その時のリベンジという意味もあったりします。どうもこの専用線は、植物が衰退する真冬に訪れたほうが良いようです。

ちなみに、後ろを振り返るとこのように御殿場線から離れていく様子が分かります。こちら側も、植物が成長しており、進めそうにありませんが・・・。真冬に来てもこの様子だと、どの時期に来てもこの場所の探索は難しそうですね。

というわけで、路盤を降り、再び築堤沿いを歩くことにしました。前方には国道246号線の久保川橋が見えてきました。

小さな暗渠を発見しました。高さや幅からして、歩行者・自転車専用のようです。せっかくなので通ってみましょうw

暗渠の反対側です。こちら側は随分と簡素な造りで、暗渠に通じる道路なども無く暗渠の存在意味がよく分かりません。ただ、暗渠内の路盤にはパイプが通っており、何かしら利用されてはいるようですが・・・。
ここで、再び路盤に登ってみることにします。

相変わらず植物は多いものの、普通に歩ける程度にまでおとなしくなっています。しかし、トゲトゲがまだ残っていたりするので、足元に注意しながら進みます。

レールの間に立派な木が育っています。ここまで成長するには相当な年月が必要なはずです。この専用線の廃止年月は分かっていませんが、そう最近ではないのは確かなようです。
専用線はまだまだ席へ続いていますが、続きは次回の記事で書いていきます。
「"西"へ行ったなら"北"にも行かなければ!」という安易な発想の結果、今回は裾野市と御殿場市の境界付近にあるという、トヨタ自動車東富士工場の専用線跡を調査することにしました。
2月2日の午後に沼津市内の自宅を出発し、静岡県道394号線(旧:国道246号線)をひたすら北上します。この日は、午前中まで雨が降っていたにも関わらず気温が20度を超え、とても2月上旬とは思えない気温でした。
目的地まではずっと登りこう配が続くため、私の脚力ではほとんど速度を出すことはできません。この県道394号線には、ほぼ並走して御殿場線が走っており、いかに御殿場線のこう配が急なものであるかを知らされます。むしろ、一人乗りの自転車ですらキツい登りこう配を、何百人という客を乗せて平然と走っている現代の列車は、やはりすごいものです。

途中、事故多発路線であることを警告する看板を見つけましたが・・・

これは大丈夫なのでしょうか(著作権的な意味で)w
ちなみに、他にも数ヶ所で同様の看板を発見しましたが、すべてこの方でした。

そして、出発から約1時間30分ほど掛けて、目的地に到着しました。御殿場線の富士岡駅~岩波駅間にある神山架道橋です。ちなみに、沼津駅の標高は7m、岩波駅は248mですから、相当登ってきたことになります。

この架道橋の手前には、橋桁の架かっていない橋台が残っています。これこそが、トヨタ自動車東富士工場の専用線のものです。岩波駅を出てから最初に見られる遺構で、御殿場線ともほぼ並走していることから、専用線はこの付近で御殿場線から分岐していたようです。

架道橋跡の先、しばらくは専用線の築堤が緩やかな左カーブを描きながら続きます。
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ちなみに、現在地はこの地図の中心付近となります。ここから、左上へ向かって調査していきます。

築堤にはカーブミラーが設置され、現在も利用されていますw この小ささでは役に立っているのか分かりませんが・・・。
それにしても、廃線とは思えないほど立派な築堤です。

しばらく進むと、ガードが現れます。こちらは橋桁も残っており、先ほどの地図にも記載されていたりします。橋梁の上に生えた木が、廃止されてからの時間を感じさせますね。

ガードを潜った先から、振り返って撮影した写真です。左側の架線柱が御殿場線、右側が専用線です。このあたりから、専用線は御殿場線から離れていきます。

ガードを過ぎると、専用線はコンクリート製の立派な築堤から盛り土へと変わります。気づけば、築堤自体の高さもだいぶ低くなっているので、このあたりで路盤に登ってみることにしました。

築堤の上は、ほぼそのままの状態で残っているようです。しかし、植物が成長してしまっており、このまま進むのは難しそうです。それでも、以前来た時よりはよっぽどマシですが・・・。

実は、ここに来たのは今回が初めてではなかったりします。昨年の11月にも一度訪れており、その時はススキの"もふもふ"は舞うわ、トゲトゲは衣服に付着するわで散々でした(orz
今回は、その時のリベンジという意味もあったりします。どうもこの専用線は、植物が衰退する真冬に訪れたほうが良いようです。

ちなみに、後ろを振り返るとこのように御殿場線から離れていく様子が分かります。こちら側も、植物が成長しており、進めそうにありませんが・・・。真冬に来てもこの様子だと、どの時期に来てもこの場所の探索は難しそうですね。

というわけで、路盤を降り、再び築堤沿いを歩くことにしました。前方には国道246号線の久保川橋が見えてきました。

小さな暗渠を発見しました。高さや幅からして、歩行者・自転車専用のようです。せっかくなので通ってみましょうw

暗渠の反対側です。こちら側は随分と簡素な造りで、暗渠に通じる道路なども無く暗渠の存在意味がよく分かりません。ただ、暗渠内の路盤にはパイプが通っており、何かしら利用されてはいるようですが・・・。
ここで、再び路盤に登ってみることにします。

相変わらず植物は多いものの、普通に歩ける程度にまでおとなしくなっています。しかし、トゲトゲがまだ残っていたりするので、足元に注意しながら進みます。

レールの間に立派な木が育っています。ここまで成長するには相当な年月が必要なはずです。この専用線の廃止年月は分かっていませんが、そう最近ではないのは確かなようです。
専用線はまだまだ席へ続いていますが、続きは次回の記事で書いていきます。
静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!(6)
【ご案内】大学のサークルの合宿が終了しましたので、ブログの更新を再開いたします。皆様のご理解、ありがとうございました。
※ただいま、数回の記事に分けて『静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!』をお送りしています。以下の記事も併せてご覧ください。
静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!
(1)→こちら (2)→こちら (3)→こちら (4)→こちら (5)→こちら

東名高速道路の由比バスストップの調査を終えた私は、薩埵(さった)峠との分岐点に戻ってきました。今度は、ここを右に入り、いよいよ最後の目的地である薩埵峠に向かいます。いきなりの急こう配に、さっそく苦戦しますが・・・。

薩埵峠までは、随所に案内板が設置され、初めて訪れる人でも分かりやすいです。
また、この辺りは斜面に農地が広がっており、モノラック(写真中央)をよく見かけます。

途中、後ろを振り返ると、富士山が見えました! この日は、たまに富士山が顔を出す時間帯もありましたが、基本的には曇りがちな天候だったので、良かったです。
とはいえ、富士山周辺の天気は秒単位で変わります。直前まで見えていても、あっという間に雲に隠れてしまうこともあるので、油断はできません。

薩埵峠の駐車場まできました。自動車や自転車で来た人はここに駐車・駐輪し、ここからは徒歩で展望台まで向かいます。ここまでくればもう一息です。

駐車場から数分歩くと、展望台(写真左側)に到着します。本日は土曜日ということもあり、展望台には入れ替わり多くの人が来ていました。
それでは、展望台からの景色をドウゾ!

雲は多いものの、しっかりと富士山が顔を出してくれました!
薩埵峠という名前は知らなくても、この景色を見たことがある人は多いのではないでしょうか。富士山を駿河湾越しに見ることができる数少ない場所です。縦アングルで撮影されることが多いですが、私は横向きで撮影してみました。何気に東海道本線を211系が走行しているのですが、見えるでしょうかw
しばらくの間、展望台での撮影を楽しみましたが、レンタサイクルを16時30分までに返却しなければならないので、新蒲原駅に戻ることにします。

帰りは下り坂が多いので、行きよりも楽です。とはいえ、このように見通しの悪い場所が多いので、あまり速度を出すことはできません。

薩埵峠を下ったら、あとは旧東海道をひたすら走ります。15時38分に由比駅前を通過し、15時53分に蒲原駅前を通過しました。

そして16時06分、新蒲原駅前に到着しました!
無事、レンタサイクルを返却し、レンタル時に預けた保証金500円を返していただきました。これで、完全に無料でレンタサイクルを利用したことになります。最後に、「レンタサイクル実証実験」に関するアンケートに答え、終了となりました。

帰宅するため新蒲原駅のホームに上ると、ちょうど空が黄昏て綺麗だったので、列車を絡めて撮影してみました。というわけで、帰宅となりました。
今回の「レンタサイクル実証実験」は、約3ヶ月(2012年10月1日~12月28日)の実験期間中に約2000名が利用したそうです。これは、1日に換算すると20人ほどが利用したことになります。
静岡市といえば、登呂遺跡をはじめ、駿府城や東海大学海洋科学博物館、私が訪れた薩埵峠など、観光地が多くあります。しかしながら、駅から遠いなどアクセスの悪い場合も多く、公共交通機関だけを利用して訪れるには限度があります。こういった観光地に、レンタサイクルはぴったりだと思います。また、沿岸部には"太平洋岸自転車道"が整備されており、こういった面から見ても、静岡市にレンタサイクルを導入するメリットは十分あると思います。ただ、利用者の自転車マナーや道路の整備状況など、直していかなければならない点も多いです。
今後、レンタサイクルを本格的に導入するかどうかについては、「レンタサイクル実証実験」利用者のアンケートを参考に検討するとのことですので、期待したいところですね!
以上で、6回に渡ってお送りしてきた『静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!』を終了したいと思います。なお、現在は「レンタサイクル実証実験」は行っていませんので、ご注意ください。
次回の記事からは、2013年のことについて書いていきたいと思います。
※ただいま、数回の記事に分けて『静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!』をお送りしています。以下の記事も併せてご覧ください。
静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!
(1)→こちら (2)→こちら (3)→こちら (4)→こちら (5)→こちら

東名高速道路の由比バスストップの調査を終えた私は、薩埵(さった)峠との分岐点に戻ってきました。今度は、ここを右に入り、いよいよ最後の目的地である薩埵峠に向かいます。いきなりの急こう配に、さっそく苦戦しますが・・・。

薩埵峠までは、随所に案内板が設置され、初めて訪れる人でも分かりやすいです。
また、この辺りは斜面に農地が広がっており、モノラック(写真中央)をよく見かけます。

途中、後ろを振り返ると、富士山が見えました! この日は、たまに富士山が顔を出す時間帯もありましたが、基本的には曇りがちな天候だったので、良かったです。
とはいえ、富士山周辺の天気は秒単位で変わります。直前まで見えていても、あっという間に雲に隠れてしまうこともあるので、油断はできません。

薩埵峠の駐車場まできました。自動車や自転車で来た人はここに駐車・駐輪し、ここからは徒歩で展望台まで向かいます。ここまでくればもう一息です。

駐車場から数分歩くと、展望台(写真左側)に到着します。本日は土曜日ということもあり、展望台には入れ替わり多くの人が来ていました。
それでは、展望台からの景色をドウゾ!

雲は多いものの、しっかりと富士山が顔を出してくれました!
薩埵峠という名前は知らなくても、この景色を見たことがある人は多いのではないでしょうか。富士山を駿河湾越しに見ることができる数少ない場所です。縦アングルで撮影されることが多いですが、私は横向きで撮影してみました。何気に東海道本線を211系が走行しているのですが、見えるでしょうかw
しばらくの間、展望台での撮影を楽しみましたが、レンタサイクルを16時30分までに返却しなければならないので、新蒲原駅に戻ることにします。

帰りは下り坂が多いので、行きよりも楽です。とはいえ、このように見通しの悪い場所が多いので、あまり速度を出すことはできません。

薩埵峠を下ったら、あとは旧東海道をひたすら走ります。15時38分に由比駅前を通過し、15時53分に蒲原駅前を通過しました。

そして16時06分、新蒲原駅前に到着しました!
無事、レンタサイクルを返却し、レンタル時に預けた保証金500円を返していただきました。これで、完全に無料でレンタサイクルを利用したことになります。最後に、「レンタサイクル実証実験」に関するアンケートに答え、終了となりました。

帰宅するため新蒲原駅のホームに上ると、ちょうど空が黄昏て綺麗だったので、列車を絡めて撮影してみました。というわけで、帰宅となりました。
今回の「レンタサイクル実証実験」は、約3ヶ月(2012年10月1日~12月28日)の実験期間中に約2000名が利用したそうです。これは、1日に換算すると20人ほどが利用したことになります。
静岡市といえば、登呂遺跡をはじめ、駿府城や東海大学海洋科学博物館、私が訪れた薩埵峠など、観光地が多くあります。しかしながら、駅から遠いなどアクセスの悪い場合も多く、公共交通機関だけを利用して訪れるには限度があります。こういった観光地に、レンタサイクルはぴったりだと思います。また、沿岸部には"太平洋岸自転車道"が整備されており、こういった面から見ても、静岡市にレンタサイクルを導入するメリットは十分あると思います。ただ、利用者の自転車マナーや道路の整備状況など、直していかなければならない点も多いです。
今後、レンタサイクルを本格的に導入するかどうかについては、「レンタサイクル実証実験」利用者のアンケートを参考に検討するとのことですので、期待したいところですね!
以上で、6回に渡ってお送りしてきた『静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!』を終了したいと思います。なお、現在は「レンタサイクル実証実験」は行っていませんので、ご注意ください。
次回の記事からは、2013年のことについて書いていきたいと思います。
静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!(5)
【ご案内】2月17日(日)から21日(木)まで大学のサークルの合宿があるため、ブログの更新をお休みさせていただきます。この期間中、コメントなどをいただきましても返信はできませんので、ご了承ください。皆様のご理解をお願いいたします。
※ただいま、数回の記事に分けて『静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!』をお送りしています。以下の記事も併せてご覧ください。
静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた! (1)→こちら (2)→こちら (3)→こちら (4)→こちら

前回、国道1号線をレンタサイクルで走行中、東名高速道路の「由比パーキングエリア」に続く階段を発見した私。「ぷらっとパーク」ではないはずの由比パーキングエリアに、なぜ外部と行き来できる階段があるのでしょうか。
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ちなみに、階段がある位置はこのあたりです。それでは、登ってみることにします。

ここまで登ったところで、前方に監視カメラを発見し、パーキングエリアの従業員らしき人がいるのも確認したため、これ以上先へ進むことはできませんでした。しかし、この階段が由比パーキングエリア内に通じているのは間違いないようです。
そして、この階段の正体ですが、おそらく「東名由比バスストップ」の名残ではないかと思われます。かつて、由比パーキングエリアにはバスストップも併設されており、バス停への出入りのために外部と出入りできる通路があったはずです。由比パーキングエリアに接している一般道路は国道1号線しかなく、さらにその国道1号線から由比パーキングエリアに通じている通路がこの階段以外に発見できなかったので、ほぼ間違いないかと思います。なお、東名由比バスストップは1990年代に廃止されているようです。
で、この階段ですが、由比パーキングエリアの"上り線"に接続しているんです。"上り線"があるなら"下り線"へ接続する通路もどこかにあるはずです。来た道を戻りつつ注意していると・・・

左側に下り線側に続く暗渠を発見!
って暗!
なんでこんなに暗いの・・・。しかもやけに下りこう配だし・・・。とりあえず、入ってみます。

富竹フラッシュ!←古い
なるほど、途中でこう配が変わっていたために向こう側の光が届いていなかったんですね。しかし、向こう側から差し込む光も様子がおかしいような・・・。

もしかして、行き止まり? 足元に散乱しているゴミや水たまりに注意しながら先に進みます。この状態だと、どうもこの通路を利用している人は少ないようですね。

すると、左側に上り階段が続いていました。この階段、一段の段差が高く、傾斜も急なため、短いのにも関わらず上るのに疲れました。今のところ、階段の先には青空しか見えていませんが、一体どこに出るのか・・・。
!?
マジでどこだよ!!w
右側は、どうやら海に面している堤防のようですが・・・。

ちょうど良いところに階段とドアがあるので、ドアの隙間から壁の向こう側を覗いてみましょう。

どう見ても東名高速道路下り線です、本当にry
ということは、この場所は東名高速道路と堤防の間ということになりますね。東名高速道路の脇にこんなスペースがあるとは、知りませんでした。普通に車が走れそうな道路のようになっています。

とりあえず、この謎の道路を名古屋方面へ向かうことにしました。ちなみに、右側に写っている階段が、先ほど私が上ってきた階段です。この階段、上って降りるというよく分からない構造になっていますw

謎の道路は、進むにつれて東名高速道路との高低差が出始め、やがて行き止まりとなりました。この高低差では、とても由比バスストップがあったとは思えません。続いて、東京側へ向かいます。

東京側は、東名高速道路とほぼ同位置を並走したものの、やはり行き止まりとなっていました。こちら側は、堤防が低くなっており(というか、この道路が登っている?)、青い駿河湾と雄大な富士山を望むことができました。
そして、ここで下り線の由比パーキングエリアがこの場所のさらに東京側にあることが判明(orz 由比バスストップは由比パーキングエリア内にあるので、この謎の道路が由比バスストップとは無関係なものであることが分かってしまいました・・・。
となると、この謎の道路は一体何なのでしょうか?
可能性として高いのは、「東名高速道路の工事などで使用するスペース」でしょうか。ただ、この場合、この場所へのアクセスがあの狭い暗渠と急な階段しかないという点が気になります。工事機器の搬入・搬出などに使うにはあまりに不便です。
次に、「もともと東名高速道路の車線として使用する予定だった、もしくは使用していた」ということです。確かに、1車線分以上の幅はありますが、長さが数百メートルしかなく、名古屋側ではかなりの高低差があるということも考えると、この可能性は低いでしょう。
最後に、「高波に対する緩衝地帯」ということです。東名高速道路の由比パーキングエリア付近といえば、駿河湾のすぐ脇を走っており、台風などで海が荒れるとすぐに高波で通行止めになる区間です。そのため、少しでも高波の被害を低減するために、このような緩衝地帯を設けたのではないでしょうか。個人的には、この考えが一番妥当だと思うのですが、何かご存知の方がいらっしゃいましたら教えてくださると嬉しいです。
で、この場所が由比バスストップと無関係だと分かった以上、本当の由比バスストップへの出入口を見つけたいところですが、このあとに薩埵峠に行くことを考えると、そろそろタイムリミット・・・。悔しいですが、ここで由比バスストップの調査は打ち切ることにしました。
まぁ、上り線の由比バスストップへの入口が分かっただけでも収穫としましょう。
次の記事では、いよいよ最後の目的地、薩埵(さった)峠へ向かいます!
※ただいま、数回の記事に分けて『静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!』をお送りしています。以下の記事も併せてご覧ください。
静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた! (1)→こちら (2)→こちら (3)→こちら (4)→こちら

前回、国道1号線をレンタサイクルで走行中、東名高速道路の「由比パーキングエリア」に続く階段を発見した私。「ぷらっとパーク」ではないはずの由比パーキングエリアに、なぜ外部と行き来できる階段があるのでしょうか。
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ちなみに、階段がある位置はこのあたりです。それでは、登ってみることにします。

ここまで登ったところで、前方に監視カメラを発見し、パーキングエリアの従業員らしき人がいるのも確認したため、これ以上先へ進むことはできませんでした。しかし、この階段が由比パーキングエリア内に通じているのは間違いないようです。
そして、この階段の正体ですが、おそらく「東名由比バスストップ」の名残ではないかと思われます。かつて、由比パーキングエリアにはバスストップも併設されており、バス停への出入りのために外部と出入りできる通路があったはずです。由比パーキングエリアに接している一般道路は国道1号線しかなく、さらにその国道1号線から由比パーキングエリアに通じている通路がこの階段以外に発見できなかったので、ほぼ間違いないかと思います。なお、東名由比バスストップは1990年代に廃止されているようです。
で、この階段ですが、由比パーキングエリアの"上り線"に接続しているんです。"上り線"があるなら"下り線"へ接続する通路もどこかにあるはずです。来た道を戻りつつ注意していると・・・

左側に下り線側に続く暗渠を発見!

なんでこんなに暗いの・・・。しかもやけに下りこう配だし・・・。とりあえず、入ってみます。

富竹フラッシュ!←古い
なるほど、途中でこう配が変わっていたために向こう側の光が届いていなかったんですね。しかし、向こう側から差し込む光も様子がおかしいような・・・。

もしかして、行き止まり? 足元に散乱しているゴミや水たまりに注意しながら先に進みます。この状態だと、どうもこの通路を利用している人は少ないようですね。

すると、左側に上り階段が続いていました。この階段、一段の段差が高く、傾斜も急なため、短いのにも関わらず上るのに疲れました。今のところ、階段の先には青空しか見えていませんが、一体どこに出るのか・・・。


右側は、どうやら海に面している堤防のようですが・・・。

ちょうど良いところに階段とドアがあるので、ドアの隙間から壁の向こう側を覗いてみましょう。

どう見ても東名高速道路下り線です、本当にry
ということは、この場所は東名高速道路と堤防の間ということになりますね。東名高速道路の脇にこんなスペースがあるとは、知りませんでした。普通に車が走れそうな道路のようになっています。

とりあえず、この謎の道路を名古屋方面へ向かうことにしました。ちなみに、右側に写っている階段が、先ほど私が上ってきた階段です。この階段、上って降りるというよく分からない構造になっていますw

謎の道路は、進むにつれて東名高速道路との高低差が出始め、やがて行き止まりとなりました。この高低差では、とても由比バスストップがあったとは思えません。続いて、東京側へ向かいます。

東京側は、東名高速道路とほぼ同位置を並走したものの、やはり行き止まりとなっていました。こちら側は、堤防が低くなっており(というか、この道路が登っている?)、青い駿河湾と雄大な富士山を望むことができました。
そして、ここで下り線の由比パーキングエリアがこの場所のさらに東京側にあることが判明(orz 由比バスストップは由比パーキングエリア内にあるので、この謎の道路が由比バスストップとは無関係なものであることが分かってしまいました・・・。
となると、この謎の道路は一体何なのでしょうか?
可能性として高いのは、「東名高速道路の工事などで使用するスペース」でしょうか。ただ、この場合、この場所へのアクセスがあの狭い暗渠と急な階段しかないという点が気になります。工事機器の搬入・搬出などに使うにはあまりに不便です。
次に、「もともと東名高速道路の車線として使用する予定だった、もしくは使用していた」ということです。確かに、1車線分以上の幅はありますが、長さが数百メートルしかなく、名古屋側ではかなりの高低差があるということも考えると、この可能性は低いでしょう。
最後に、「高波に対する緩衝地帯」ということです。東名高速道路の由比パーキングエリア付近といえば、駿河湾のすぐ脇を走っており、台風などで海が荒れるとすぐに高波で通行止めになる区間です。そのため、少しでも高波の被害を低減するために、このような緩衝地帯を設けたのではないでしょうか。個人的には、この考えが一番妥当だと思うのですが、何かご存知の方がいらっしゃいましたら教えてくださると嬉しいです。
で、この場所が由比バスストップと無関係だと分かった以上、本当の由比バスストップへの出入口を見つけたいところですが、このあとに薩埵峠に行くことを考えると、そろそろタイムリミット・・・。悔しいですが、ここで由比バスストップの調査は打ち切ることにしました。
まぁ、上り線の由比バスストップへの入口が分かっただけでも収穫としましょう。
次の記事では、いよいよ最後の目的地、薩埵(さった)峠へ向かいます!
静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!(4)
2013年になりましたが、しばらくの間は2012年のことについて書いていきます。申し訳ございません。
※ただいま、数回の記事に分けて『静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!』をお送りしています。以下の記事も併せてご覧ください。
静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた! (1)→ こちら (2)→ こちら (3)→ こちら

新蒲原駅近くの道路を探索中の私。遠くに見えるのはもしや・・・

隧道ktkr!
一見、コンクリート製の新しそうな隧道にも見えますが、うっすらと石積みのラインが見えることから、コンクリートはただの吹きつけのようです。これは、意外と古い隧道かもしれません!

ただ、残念ながら扁額は改修工事によって失われているようで・・・

って隧道の脇に飾られている!
わざわざ台座を用意してまで扁額を保存するということは、やはりこの隧道にはそれだけの価値があるということなのでしょうか。
扁額は右書きで「第一城山隧道」と書かれています。また、扁額の左側をよく見ると、「静岡縣知事鵜澤 憲」と書かれています。調べたところ、鵜澤さんが静岡の県知事を務めたのは1931(昭和6)年なので、この第一城山隧道も昭和6年竣功である可能性が高いです。かなりの古参です!

内部も、全面に渡ってコンクリート吹き付けがされています。長さは100mほどで、幅が狭いため自動車同士のすれ違いは難しいと思われます。

反対側の坑口です。坑口のデザインは同じようですね。こう配がキツく、隧道を見下げるような感じになります。

こちら側は、扁額がそのままの状態で残っていました。書かれていることは、反対側の扁額と同じようです。
予想外に古い隧道の発見で、探索に熱が入ってしまいました。
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ちなみに、第一城山隧道はこの場所にあります。そういえば、"第一"城山隧道があるということは、"第二"城山隧道もどこかにあるはずですが・・・。
あっ!
まさかお前かw(詳細は前回の記事をご覧ください)
調べたところ、これは半分正解のようです。どうやら、本来の"第二"城山隧道は、土地の改変によってすでに消滅しているようです。そのため、現在はこの隧道が"第二"城山隧道と呼ばれているようです。つまり、2代目の"第二"城山隧道というわけですね。

というわけで、再びレンタサイクルで東海道を西の方角へ向かいます。12時49分、蒲原駅前を通過しました。

途中、寄り道をしつつ13時29分に結衣 由比駅前を通過しました。第一城山隧道の探索に予想以上に時間を使ってしまい、若干予定よりも遅れているので、少しペースを上げなければ・・・。

そういえば、なぜ私が西のほうへ向かっているのかといいますと、「薩埵(さった)峠」へ行くためです! 私がわざわざ新蒲原でレンタサイクルを借りたのは、薩埵峠に比較的近いからだったりします。もちろん、日本軽金属蒲原工場の専用線や第一城山隧道など、ネタが多そうだったというのも理由ですが・・・。

そして、いよいよ薩埵峠への登山道との分岐点に来ました。ここを右側の道に入ると薩埵峠へ向かいますが、もうひとつ調査しなければならないことがあるため、ここを左側に進みます。断じて登山道の上りこう配にビビったわけではなry

この道をしばらく進むと、東海道本線を踏切で横断し、すぐに国道1号線に合流します。この区間の国道1号線は、歩道が下り線側にしか設置されていないため(車道は自転車通行禁止)、自転車の場合はこの信号を渡らなければならないのですが・・・
えっ!?
①踏切の手前に車を止めて下さい。
②車を降りて踏切を渡り、信号機のボタンを押して下さい。
③信号機が変わったのを確認したら踏切を渡って下さい。(信号機は約3分後に変わります)
・・・こんな仕組みってアリですか?w
しかもこの信号、押しボタン式なので踏切と連動しておらず、信号が青になった時に踏切が作動してしまった場合、もう一度ボタンを押しに行き、再び3分待たなければならないという・・・。
地味に看板の製作が未だに「由比町」のままになっているあたり、やる気の無さを感じますw

とりあえず、3分間待ってバルス 信号を渡り、国道1号線を静岡市街方面に向かいます。左にあるのは、東名高速道路の由比パーキングエリアです。

しばらく走ると、何やら左側に分岐を発見しました。行ってみましょう。

分岐した謎の道は、さらに左へ続き、180度Uターンしたようになります。
階段!?
この先にあるのは、東名高速道路の由比パーキングエリアです。まさか、一般道からパーキングエリアに入れるというのでしょうか? 高速道路のパーキングエリアには、一般道から出入りができる「ぷらっとパーク」というものもありますが、由比パーキングエリアは「ぷらっとパーク」ではないはずです。
では、この階段は一体・・・。次回の記事に続きます。
※ただいま、数回の記事に分けて『静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた!』をお送りしています。以下の記事も併せてご覧ください。
静岡市の「レンタサイクル実証実験」を利用してみた! (1)→ こちら (2)→ こちら (3)→ こちら

新蒲原駅近くの道路を探索中の私。遠くに見えるのはもしや・・・

隧道ktkr!
一見、コンクリート製の新しそうな隧道にも見えますが、うっすらと石積みのラインが見えることから、コンクリートはただの吹きつけのようです。これは、意外と古い隧道かもしれません!

ただ、残念ながら扁額は改修工事によって失われているようで・・・

って隧道の脇に飾られている!
わざわざ台座を用意してまで扁額を保存するということは、やはりこの隧道にはそれだけの価値があるということなのでしょうか。
扁額は右書きで「第一城山隧道」と書かれています。また、扁額の左側をよく見ると、「静岡縣知事鵜澤 憲」と書かれています。調べたところ、鵜澤さんが静岡の県知事を務めたのは1931(昭和6)年なので、この第一城山隧道も昭和6年竣功である可能性が高いです。かなりの古参です!

内部も、全面に渡ってコンクリート吹き付けがされています。長さは100mほどで、幅が狭いため自動車同士のすれ違いは難しいと思われます。

反対側の坑口です。坑口のデザインは同じようですね。こう配がキツく、隧道を見下げるような感じになります。

こちら側は、扁額がそのままの状態で残っていました。書かれていることは、反対側の扁額と同じようです。
予想外に古い隧道の発見で、探索に熱が入ってしまいました。
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ちなみに、第一城山隧道はこの場所にあります。そういえば、"第一"城山隧道があるということは、"第二"城山隧道もどこかにあるはずですが・・・。

まさかお前かw(詳細は前回の記事をご覧ください)
調べたところ、これは半分正解のようです。どうやら、本来の"第二"城山隧道は、土地の改変によってすでに消滅しているようです。そのため、現在はこの隧道が"第二"城山隧道と呼ばれているようです。つまり、2代目の"第二"城山隧道というわけですね。

というわけで、再びレンタサイクルで東海道を西の方角へ向かいます。12時49分、蒲原駅前を通過しました。

途中、寄り道をしつつ13時29分に

そういえば、なぜ私が西のほうへ向かっているのかといいますと、「薩埵(さった)峠」へ行くためです! 私がわざわざ新蒲原でレンタサイクルを借りたのは、薩埵峠に比較的近いからだったりします。もちろん、日本軽金属蒲原工場の専用線や第一城山隧道など、ネタが多そうだったというのも理由ですが・・・。

そして、いよいよ薩埵峠への登山道との分岐点に来ました。ここを右側の道に入ると薩埵峠へ向かいますが、もうひとつ調査しなければならないことがあるため、ここを左側に進みます。断じて登山道の上りこう配にビビったわけではなry

この道をしばらく進むと、東海道本線を踏切で横断し、すぐに国道1号線に合流します。この区間の国道1号線は、歩道が下り線側にしか設置されていないため(車道は自転車通行禁止)、自転車の場合はこの信号を渡らなければならないのですが・・・

①踏切の手前に車を止めて下さい。
②車を降りて踏切を渡り、信号機のボタンを押して下さい。
③信号機が変わったのを確認したら踏切を渡って下さい。(信号機は約3分後に変わります)
・・・こんな仕組みってアリですか?w
しかもこの信号、押しボタン式なので踏切と連動しておらず、信号が青になった時に踏切が作動してしまった場合、もう一度ボタンを押しに行き、再び3分待たなければならないという・・・。
地味に看板の製作が未だに「由比町」のままになっているあたり、やる気の無さを感じますw

とりあえず、3分間待って

しばらく走ると、何やら左側に分岐を発見しました。行ってみましょう。

分岐した謎の道は、さらに左へ続き、180度Uターンしたようになります。

この先にあるのは、東名高速道路の由比パーキングエリアです。まさか、一般道からパーキングエリアに入れるというのでしょうか? 高速道路のパーキングエリアには、一般道から出入りができる「ぷらっとパーク」というものもありますが、由比パーキングエリアは「ぷらっとパーク」ではないはずです。
では、この階段は一体・・・。次回の記事に続きます。