大学の卒業式
私が通っていた大学では、3月21日に東京の武道館で卒業式を行いました。遅ればせながら、今回はその時の様子を書いていきたいと思います。
開場が9時、開始が10時とのことで、沼津駅北口を6時ちょうどに出発する富士急シティバスの高速バス「さんさんぬまづ・東京号」を利用することにしました。遠方者のことも考え、もう少し開始する時間を遅くしてほしかったですが・・・。

平日だったため、「平日得ダ値きっぷ」を使用することができました。
「平日得ダ値きっぷ」は、2枚綴りで3000円(沼津地区~東京駅)で販売されている回数券で、1枚あたり1500円という安さ! 確実に座れて乗り換えが無いうえにこの安さとなれば、利用しない手はありません。
しかし、高速バスの弱点である渋滞にハマってしまい、本来なら東京駅への到着時刻である8時11分の時点でまだ東名高速道路を走っている状態という(orz このままでは遅刻してしまう可能性も・・・。
そこで・・・
用賀パーキングエリアバス停
通常、「さんさんぬまづ・東京号」はこのバス停には停車しませんが、渋滞時に降車ボタンが押された場合に限り停車します。これは、渋滞による高速バスの遅延を回避するためで、乗務員に申し出ることで東急田園都市線への乗り継ぎ乗車券も購入することもできます。この乗り継ぎ乗車券は用賀から渋谷までを100円で乗車できるもの(通常190円)で、私はこの乗車券を利用し、東急田園都市線に乗り換えることにしました。

用賀パーキングエリアバス停から徒歩5分ほどで、用賀駅に到着しました。平日のラッシュ時間帯ということもあり、次から次へ列車が来ます。私は、準急の清澄白河行きに乗車しましたが・・・

まさかの2000系トップ編成w
ラッシュ時間帯は混雑することで有名な田園都市線ですが、ラッシュ時間帯の終わりかけということもあり、そこまで酷い混雑はありませんでした。そのまま東京メトロ半蔵門線に直通し、武道館の最寄り駅となる九段下駅で下車しました。
というわけで、どうにか卒業式の開始までに間に合いました。
もともと30分ほどの遅れは見込んでおり、早い時間帯の高速バスにしたのですが、読みが甘かったようで・・・。
卒業式のあとは、お世話になった教授に挨拶に行ったり、友達と喋ったり、"秋葉原"に行ったりし、最後はサークルのメンバーと飲んで終了となりました。

もちろん、帰りは「平日得ダ値きっぷ」のもう一枚を使用し、「さんさんぬまづ・東京号」に乗車しましたw
都心では渋滞に巻き込まれたものの、その後は順調に進み、数分遅れで沼津駅に到着となりました。
なんだかんだで大学4年間もあっという間でした。これまで、人生の大半を「学生」として過ごしてきましたが、これからは「学生」を名乗れなくなります。"学割"が使えない身分となったと思うと、さびしい気持ちになりますね・・・。
逆に、今まで学生でいられたのは他ならぬ両親のおかげであり、両親には感謝してもしきれません。
ある意味、人生の大きな節目を迎えたともいえる今回の卒業式。今後は、「社会人」としてがんばっていきたいと思います。
開場が9時、開始が10時とのことで、沼津駅北口を6時ちょうどに出発する富士急シティバスの高速バス「さんさんぬまづ・東京号」を利用することにしました。遠方者のことも考え、もう少し開始する時間を遅くしてほしかったですが・・・。

平日だったため、「平日得ダ値きっぷ」を使用することができました。
「平日得ダ値きっぷ」は、2枚綴りで3000円(沼津地区~東京駅)で販売されている回数券で、1枚あたり1500円という安さ! 確実に座れて乗り換えが無いうえにこの安さとなれば、利用しない手はありません。
しかし、高速バスの弱点である渋滞にハマってしまい、本来なら東京駅への到着時刻である8時11分の時点でまだ東名高速道路を走っている状態という(orz このままでは遅刻してしまう可能性も・・・。
そこで・・・

通常、「さんさんぬまづ・東京号」はこのバス停には停車しませんが、渋滞時に降車ボタンが押された場合に限り停車します。これは、渋滞による高速バスの遅延を回避するためで、乗務員に申し出ることで東急田園都市線への乗り継ぎ乗車券も購入することもできます。この乗り継ぎ乗車券は用賀から渋谷までを100円で乗車できるもの(通常190円)で、私はこの乗車券を利用し、東急田園都市線に乗り換えることにしました。

用賀パーキングエリアバス停から徒歩5分ほどで、用賀駅に到着しました。平日のラッシュ時間帯ということもあり、次から次へ列車が来ます。私は、準急の清澄白河行きに乗車しましたが・・・

まさかの2000系トップ編成w
ラッシュ時間帯は混雑することで有名な田園都市線ですが、ラッシュ時間帯の終わりかけということもあり、そこまで酷い混雑はありませんでした。そのまま東京メトロ半蔵門線に直通し、武道館の最寄り駅となる九段下駅で下車しました。
というわけで、どうにか卒業式の開始までに間に合いました。
もともと30分ほどの遅れは見込んでおり、早い時間帯の高速バスにしたのですが、読みが甘かったようで・・・。
卒業式のあとは、お世話になった教授に挨拶に行ったり、友達と喋ったり、"秋葉原"に行ったりし、最後はサークルのメンバーと飲んで終了となりました。

もちろん、帰りは「平日得ダ値きっぷ」のもう一枚を使用し、「さんさんぬまづ・東京号」に乗車しましたw
都心では渋滞に巻き込まれたものの、その後は順調に進み、数分遅れで沼津駅に到着となりました。
なんだかんだで大学4年間もあっという間でした。これまで、人生の大半を「学生」として過ごしてきましたが、これからは「学生」を名乗れなくなります。"学割"が使えない身分となったと思うと、さびしい気持ちになりますね・・・。
逆に、今まで学生でいられたのは他ならぬ両親のおかげであり、両親には感謝してもしきれません。
ある意味、人生の大きな節目を迎えたともいえる今回の卒業式。今後は、「社会人」としてがんばっていきたいと思います。
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「大震災に学ぶ特別教育プログラム」の様子(4日目)
ただいま、数回に分けて大学で開催した「大震災に学ぶ特別教育プログラム」の様子を書いています。以下の記事も併せてご覧ください。
1日目 → こちら
2日目 → こちら
3日目 → こちら
プログラム3日目に宮城県松島町のホテル大観荘に宿泊した私たち。プログラム最終日となる4日目は瑞巌寺を観光しました。

瑞巌寺入口です。松島は前日に訪れた南三陸町などと比べるとかなり復興が進んでいるように見えますが・・・

よく見ると、建物と地面には地震によって隙間ができてしまっています。このお店の人にとってはたまったものではありません。

瑞巌寺の総門です。宮城県の文化財に指定されています。

総門をくぐると参道ですが、その参道には津波到達点の看板が設置されていました。幸いにも、津波は参道までで止まり、本堂や庫裡には津波の被害は無かったそうです。

津波による被害は無かったものの、地震自体の影響があるのか、庫裡の一部などではシートが被せられていました。なお、本堂は平成の大修理中だったため拝観できませんでした。

宝華殿へ向かう途中で通る岩と木が一体化したトンネルです。根の張り方が不思議ですね。ちなみに、木はヒノキだそうです。
瑞巌寺の観光を終えたところで、昼食まで自由行動の時間となりました。

松島といえば、日本三景のうちのひとつです。松島湾に浮かぶ250以上の島々は津波にも耐え、現在も美しい光景を見せてくれます。
この日は曇っていたのが残念でした。

2時間近く自由時間があったので、徒歩でJR仙石線の高城町駅へ行きました。瑞巌寺からだと徒歩25分ほどでした。

205系の快速あおば通行きが発車を待っていました。仙石線は東日本大震災の影響で、現在も高城町~矢本間が運転を見合わせており、全列車が高城町で折り返し運転を行っています。

本来、次駅に「矢本」と書かれていなければならない駅名板ですが、テープによって消され、あたかも高城町が終点かのような表示に・・・。

高城町駅の矢本よりにある最初の踏切「第2磯崎踏切」は、遮断竿が外され、まったく使用している様子がありませんでした。

第2磯崎踏切付近から、仙石線の矢本方面を撮影してみました。線路には雑草が生え、やはり使用している様子はありませんでした。

現在、仙石線の不通区間はバスによる代行運転を行っています。ただし、高城町駅前はバスが駐車できるスペースが無いため、高城町駅から徒歩10分ほどの離れたところに高城町駅バス停が設置されています。

ちょうど代行バスが来たので撮影してみましたが、ほとんどの座席が埋まるほどの乗車率でした。
自由時間が終了したので、瑞巌寺前に戻り昼食を食べました。これで4日間に及ぶプログラムは終了し、あとは東京に帰るだけなのですが、最後に松島観光物産館でおみやげタイムですw

ラムレーズンうめえ!
いやぁ、ラムレーズンアイスがあったのでつい・・・。そういえば、このプログラムは月曜~木曜の4日間で行われたので、プログラム中に東京ではアニメ「ゆるゆり」の第11話が放送されてたんですよね。当然、東北地方で見られるわけもなく、この時の私は「ゆるゆり」分が不足していたわけでw
というわけで、「大震災に学ぶ特別教育プログラム」は終了となりました。
このプログラムに参加して、非常に良かったと思っています。テレビなどで被災地の映像は見ていたのですが、実際に自分の目で確認してみると、その残酷さというものを直接感じました。特に、南三陸町の状況には心が痛みました。一方で、松島のように早くも観光客を呼び戻そうとがんばっている地元住民の方々を見て、これなら南三陸町の復興も時間は掛からないのではないかという希望も感じました。
本当に、一日も早い復興を願っております。
次回からは、通常の記事を書いていきます。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
1日目 → こちら
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3日目 → こちら
プログラム3日目に宮城県松島町のホテル大観荘に宿泊した私たち。プログラム最終日となる4日目は瑞巌寺を観光しました。

瑞巌寺入口です。松島は前日に訪れた南三陸町などと比べるとかなり復興が進んでいるように見えますが・・・

よく見ると、建物と地面には地震によって隙間ができてしまっています。このお店の人にとってはたまったものではありません。

瑞巌寺の総門です。宮城県の文化財に指定されています。

総門をくぐると参道ですが、その参道には津波到達点の看板が設置されていました。幸いにも、津波は参道までで止まり、本堂や庫裡には津波の被害は無かったそうです。

津波による被害は無かったものの、地震自体の影響があるのか、庫裡の一部などではシートが被せられていました。なお、本堂は平成の大修理中だったため拝観できませんでした。

宝華殿へ向かう途中で通る岩と木が一体化したトンネルです。根の張り方が不思議ですね。ちなみに、木はヒノキだそうです。
瑞巌寺の観光を終えたところで、昼食まで自由行動の時間となりました。

松島といえば、日本三景のうちのひとつです。松島湾に浮かぶ250以上の島々は津波にも耐え、現在も美しい光景を見せてくれます。
この日は曇っていたのが残念でした。

2時間近く自由時間があったので、徒歩でJR仙石線の高城町駅へ行きました。瑞巌寺からだと徒歩25分ほどでした。

205系の快速あおば通行きが発車を待っていました。仙石線は東日本大震災の影響で、現在も高城町~矢本間が運転を見合わせており、全列車が高城町で折り返し運転を行っています。

本来、次駅に「矢本」と書かれていなければならない駅名板ですが、テープによって消され、あたかも高城町が終点かのような表示に・・・。


高城町駅の矢本よりにある最初の踏切「第2磯崎踏切」は、遮断竿が外され、まったく使用している様子がありませんでした。

第2磯崎踏切付近から、仙石線の矢本方面を撮影してみました。線路には雑草が生え、やはり使用している様子はありませんでした。

現在、仙石線の不通区間はバスによる代行運転を行っています。ただし、高城町駅前はバスが駐車できるスペースが無いため、高城町駅から徒歩10分ほどの離れたところに高城町駅バス停が設置されています。

ちょうど代行バスが来たので撮影してみましたが、ほとんどの座席が埋まるほどの乗車率でした。
自由時間が終了したので、瑞巌寺前に戻り昼食を食べました。これで4日間に及ぶプログラムは終了し、あとは東京に帰るだけなのですが、最後に松島観光物産館でおみやげタイムですw

ラムレーズンうめえ!
いやぁ、ラムレーズンアイスがあったのでつい・・・。そういえば、このプログラムは月曜~木曜の4日間で行われたので、プログラム中に東京ではアニメ「ゆるゆり」の第11話が放送されてたんですよね。当然、東北地方で見られるわけもなく、この時の私は「ゆるゆり」分が不足していたわけでw
というわけで、「大震災に学ぶ特別教育プログラム」は終了となりました。
このプログラムに参加して、非常に良かったと思っています。テレビなどで被災地の映像は見ていたのですが、実際に自分の目で確認してみると、その残酷さというものを直接感じました。特に、南三陸町の状況には心が痛みました。一方で、松島のように早くも観光客を呼び戻そうとがんばっている地元住民の方々を見て、これなら南三陸町の復興も時間は掛からないのではないかという希望も感じました。
本当に、一日も早い復興を願っております。
次回からは、通常の記事を書いていきます。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
「大震災に学ぶ特別教育プログラム」の様子(3日目)
ただいま、数回に分けて大学で開催した「大震災に学ぶ特別教育プログラム」の様子を書いています。以下の記事も併せてご覧ください。
1日目 → こちら
2日目 → こちら

プログラム2日目は、南三陸町にあるホテル「観洋」に宿泊した私たち。プログラム3日目(9月14日)はホテル観洋からスタートするわけですが、出発は10時と遅めだったので、私は早めに起きてホテル観洋の周辺を散策することにしました。

ホテル観洋の目の前を走っている国道45号線を戸倉集落方面へ歩いていきます。見にくいですが、右側にある白い看板には「これより先、津波浸水想定区域」と書かれています。

先ほどの写真の場所から少し進み、振り返って撮影した写真です。漁船が打ち上げられていました。一応ロープで道路の欄干に固定されてはいましたが、震災から半年以上経った今でも撤去されていません・・・。また、欄干自体も仮の物のようで、元の欄干は津波によって流されてしまったのでしょう。
ちなみに、奥に見える橋脚はJR気仙沼線です。
ホテル観洋から徒歩20分ほどで戸倉集落に到着しました。

・・・。

・・・。
言葉なんて出ませんでした。
重量のあるコンクリート製の建物だけがかろうじて残っている以外、建物の基礎部分だけを残してすべてが流されていました。かろうじて残っている建物も、どう考えても定位置ではない位置にあると分かります。何千トン、何万トンもの重さのある建物ですら流されてしまっているのです。そんな津波に普通の民家が勝てるわけがありません・・・。
こんなの、絶対おかしいよ・・・。

陸前戸倉駅前という名前のバス停がありました。実は、この戸倉集落にはJR気仙沼線の陸前戸倉駅が隣接しています。写真にも気仙沼線のトンネルが写っていますね。
しかし・・・

どこを見回しても駅なんてありませんでした。
津波は陸前戸倉駅を、それこそ線路の路盤ごと飲み込んだのです・・・。
この地区の方には申し訳ないのですが、気仙沼線の復旧は無理かもしれない・・・と思ってしまうほど、酷い状態でした。
出発の時間が近づいてきたので、私は調査を終え、ホテル観洋に戻りました。
バスに乗車し、一路松島町へ移動しました。松島公民館で松島町観光協会の方のお話などを聴き、3日目はホテル「大観荘」に宿泊となりました。

夕食後、時間に余裕があったので、松島海岸駅からJR仙石線に乗車することにしました。仙石線に乗車するのは、2年前のサークルの夏季合宿以来です。

松島海岸駅の路線図を見ると、「バス代行輸送」の文字が目立ちます。仙石線も例外ではなく、高城町~矢本間が未だにバス代行となっています。ただし、高城町駅前は狭くバスが入れないため、当駅で代行バスに乗り換えることになります。

快速高城町行きの行き先幕です。

西塩釜駅で撮影した205系のマンガッタンライナーです。本当はこの他にもいろいろ撮影したのですが、まともに写っていたのはこのくらいしかありませんでした(orz
やはりファインダー無しでカンで撮影するのは無謀でした。まったく、こんな時にビデオカメラが壊れてしまうとは・・・。ただ、同じくカンで撮影した戸倉集落の写真は、思いのほかうまく撮れていたのには驚きました。
ホテル大観荘に戻り、プログラム3日目は終了となりました。プラグラム4日目(最終日)は次回の記事にて書いていきますので、しばらくお待ちください。
1日目 → こちら
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プログラム2日目は、南三陸町にあるホテル「観洋」に宿泊した私たち。プログラム3日目(9月14日)はホテル観洋からスタートするわけですが、出発は10時と遅めだったので、私は早めに起きてホテル観洋の周辺を散策することにしました。

ホテル観洋の目の前を走っている国道45号線を戸倉集落方面へ歩いていきます。見にくいですが、右側にある白い看板には「これより先、津波浸水想定区域」と書かれています。

先ほどの写真の場所から少し進み、振り返って撮影した写真です。漁船が打ち上げられていました。一応ロープで道路の欄干に固定されてはいましたが、震災から半年以上経った今でも撤去されていません・・・。また、欄干自体も仮の物のようで、元の欄干は津波によって流されてしまったのでしょう。
ちなみに、奥に見える橋脚はJR気仙沼線です。
ホテル観洋から徒歩20分ほどで戸倉集落に到着しました。

・・・。

・・・。
言葉なんて出ませんでした。
重量のあるコンクリート製の建物だけがかろうじて残っている以外、建物の基礎部分だけを残してすべてが流されていました。かろうじて残っている建物も、どう考えても定位置ではない位置にあると分かります。何千トン、何万トンもの重さのある建物ですら流されてしまっているのです。そんな津波に普通の民家が勝てるわけがありません・・・。
こんなの、絶対おかしいよ・・・。

陸前戸倉駅前という名前のバス停がありました。実は、この戸倉集落にはJR気仙沼線の陸前戸倉駅が隣接しています。写真にも気仙沼線のトンネルが写っていますね。
しかし・・・

どこを見回しても駅なんてありませんでした。
津波は陸前戸倉駅を、それこそ線路の路盤ごと飲み込んだのです・・・。
この地区の方には申し訳ないのですが、気仙沼線の復旧は無理かもしれない・・・と思ってしまうほど、酷い状態でした。
出発の時間が近づいてきたので、私は調査を終え、ホテル観洋に戻りました。
バスに乗車し、一路松島町へ移動しました。松島公民館で松島町観光協会の方のお話などを聴き、3日目はホテル「大観荘」に宿泊となりました。

夕食後、時間に余裕があったので、松島海岸駅からJR仙石線に乗車することにしました。仙石線に乗車するのは、2年前のサークルの夏季合宿以来です。

松島海岸駅の路線図を見ると、「バス代行輸送」の文字が目立ちます。仙石線も例外ではなく、高城町~矢本間が未だにバス代行となっています。ただし、高城町駅前は狭くバスが入れないため、当駅で代行バスに乗り換えることになります。

快速高城町行きの行き先幕です。

西塩釜駅で撮影した205系のマンガッタンライナーです。本当はこの他にもいろいろ撮影したのですが、まともに写っていたのはこのくらいしかありませんでした(orz
やはりファインダー無しでカンで撮影するのは無謀でした。まったく、こんな時にビデオカメラが壊れてしまうとは・・・。ただ、同じくカンで撮影した戸倉集落の写真は、思いのほかうまく撮れていたのには驚きました。
ホテル大観荘に戻り、プログラム3日目は終了となりました。プラグラム4日目(最終日)は次回の記事にて書いていきますので、しばらくお待ちください。
「大震災に学ぶ特別教育プログラム」の様子(2日目)
ただいま、数回に分けて大学で開催した「大震災に学ぶ特別教育プログラム」の様子を書いています。以下の記事も併せてご覧ください。
1日目 → こちら
プログラム2日目(9月13日)は、前日宿泊した平泉のホテル「武蔵坊」からスタートします。バスに乗り込み、一路宮城県気仙沼市へ向かいました。
気仙沼といえば、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた地区です。とはいえ、気仙沼駅前の道路は特に被害を受けたようには見えません。震災から半年が経ち、復興したのかと思ったのですが・・・

気仙沼市役所付近を境に車窓が一変、このような痛々しい光景に・・・。傾いたまま消灯してしまっている信号機が、津波がここまで押し寄せたことを物語っています。

一部では、このように水浸しになっている場所もありました。実はこれ、東日本大震災による地盤沈下で土地の海抜が低くなり、満潮時に海水が浸水してきてしまっているんです。このような光景の中を進み、バスは気仙沼港に到着しました。

気仙沼港では大島汽船に乗り換え、大島へ向かいます。自動車も載せることができるカーフェリーでした。

約40分ほどで大島に到着です。まず見えたのは重機とがれきの山、そして倒れたままの水銀灯(写真右下)でした。大震災から半年以上が経っても、いまだに水銀灯が倒れたままになっているなんて・・・。

大島では、菜の花畑を清掃をするボランティア活動を行います。菜の花畑までは徒歩で移動しますが、その途中、道路脇に漁船が打ち上げられているのを発見しました。

菜の花畑は大震災の時にすべて津波に飲まれており、畑全体に貝殻やがれきが散乱していました。私たちは、貝殻やがれきを片づけるボランティアを行いました。ただし、このボランティア活動はたったの1時間ほど・・・。プログラム中のボランティア活動はここしかないため、もう少し長時間ボランティアをしたかったです。
それでも、最後には菜の花の種を蒔いて、ボランティア活動の札を立てていただきました!

ボランティア活動を終えると、フェリーの出発時間まで大島を散策することになりました。海岸にはこのように自動車の廃車体が積み上げられていました。おそらく津波で流されて使い物にならなくなったのでしょう。
地元の方の話では、大島は津波によって島が真っ二つに分断されたとのことで、いかに大きな津波が押し寄せたのかが分かります。
フェリーに乗船し、気仙沼港に戻ってきました。
気仙沼港からは再びバスで南三陸町へ移動します。

途中、道路に並走するように気仙沼線の線路がありましたが、沿岸部では写真のように橋脚を残して路盤ごと消失している場所も多くありました。
そして、バスは南三陸町に突入しましたが・・・

嘘・・・だろ・・・。こんなの、絶対おかしいよ・・・。
南三陸町の集落があったのが信じられないくらいに、本当になにもありません。しかし、かろうじて残っている建物の基礎が、確かにここに家が建っていたことを物語っています。
これまで見てきた被災地の中でも最も酷い被害状況で、とても見ていられる光景ではありませんでした・・・。

未だに津波の爪痕を深く残していた南三陸町の市街地から少し離れた、「ホテル観洋」が今日の私たちの宿泊場所です。
ホテル観洋では、従業員の方々から震災時の様子を話していただきました。また、津波が南三陸町を襲う映像も見せていただきましたが、今までニュースなどで見てきたどの映像よりもリアルでした。
この後、夕食を食べてプログラム2日目は終了しました。
次回は、こちらの都合で「大震災に学ぶ特別教育プログラム」の様子を書くのを一旦お休みさせていただきます。
なお、現在インターネットへの接続が不安定なため、予告なくブログ・ホームページの更新が停止することがございます。ご了承ください。
1日目 → こちら
プログラム2日目(9月13日)は、前日宿泊した平泉のホテル「武蔵坊」からスタートします。バスに乗り込み、一路宮城県気仙沼市へ向かいました。
気仙沼といえば、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた地区です。とはいえ、気仙沼駅前の道路は特に被害を受けたようには見えません。震災から半年が経ち、復興したのかと思ったのですが・・・

気仙沼市役所付近を境に車窓が一変、このような痛々しい光景に・・・。傾いたまま消灯してしまっている信号機が、津波がここまで押し寄せたことを物語っています。

一部では、このように水浸しになっている場所もありました。実はこれ、東日本大震災による地盤沈下で土地の海抜が低くなり、満潮時に海水が浸水してきてしまっているんです。このような光景の中を進み、バスは気仙沼港に到着しました。

気仙沼港では大島汽船に乗り換え、大島へ向かいます。自動車も載せることができるカーフェリーでした。

約40分ほどで大島に到着です。まず見えたのは重機とがれきの山、そして倒れたままの水銀灯(写真右下)でした。大震災から半年以上が経っても、いまだに水銀灯が倒れたままになっているなんて・・・。

大島では、菜の花畑を清掃をするボランティア活動を行います。菜の花畑までは徒歩で移動しますが、その途中、道路脇に漁船が打ち上げられているのを発見しました。

菜の花畑は大震災の時にすべて津波に飲まれており、畑全体に貝殻やがれきが散乱していました。私たちは、貝殻やがれきを片づけるボランティアを行いました。ただし、このボランティア活動はたったの1時間ほど・・・。プログラム中のボランティア活動はここしかないため、もう少し長時間ボランティアをしたかったです。
それでも、最後には菜の花の種を蒔いて、ボランティア活動の札を立てていただきました!

ボランティア活動を終えると、フェリーの出発時間まで大島を散策することになりました。海岸にはこのように自動車の廃車体が積み上げられていました。おそらく津波で流されて使い物にならなくなったのでしょう。
地元の方の話では、大島は津波によって島が真っ二つに分断されたとのことで、いかに大きな津波が押し寄せたのかが分かります。
フェリーに乗船し、気仙沼港に戻ってきました。
気仙沼港からは再びバスで南三陸町へ移動します。

途中、道路に並走するように気仙沼線の線路がありましたが、沿岸部では写真のように橋脚を残して路盤ごと消失している場所も多くありました。
そして、バスは南三陸町に突入しましたが・・・

嘘・・・だろ・・・。こんなの、絶対おかしいよ・・・。
南三陸町の集落があったのが信じられないくらいに、本当になにもありません。しかし、かろうじて残っている建物の基礎が、確かにここに家が建っていたことを物語っています。
これまで見てきた被災地の中でも最も酷い被害状況で、とても見ていられる光景ではありませんでした・・・。

未だに津波の爪痕を深く残していた南三陸町の市街地から少し離れた、「ホテル観洋」が今日の私たちの宿泊場所です。
ホテル観洋では、従業員の方々から震災時の様子を話していただきました。また、津波が南三陸町を襲う映像も見せていただきましたが、今までニュースなどで見てきたどの映像よりもリアルでした。
この後、夕食を食べてプログラム2日目は終了しました。
次回は、こちらの都合で「大震災に学ぶ特別教育プログラム」の様子を書くのを一旦お休みさせていただきます。
なお、現在インターネットへの接続が不安定なため、予告なくブログ・ホームページの更新が停止することがございます。ご了承ください。
「大震災に学ぶ特別教育プログラム」の様子(1日目)
これは、もう1ヶ月以上も前のことになりますが・・・
私が通っている帝京大学では、9月12日(月)~15日(木)の4日間、東日本大震災によって被害を受けた東北地方の復興に寄与するため、「大震災に学ぶ特別教育プログラム」が行われました。具体的な内容としては、菜の花畑を清掃するなどのボランティアを行いながら、同時に観光をするというものです。
私も少しでも被災地の役に立てればと思い、このプログラムに参加しました。
その時の様子を、数回の記事に分けて書いていきたいと思います。
なお、このプログラムに出発する前日にビデオカメラの液晶画面(ファインダー)が全く写らなくなってしまうというトラブルが発生してしまいました。そのため、プログラム参加中の写真は、私がカンで被写体を捉えて撮影しています。一部にお見苦しい写真があるかと思いますが、ご了承ください。

9月12日(月)9時、帝京大学に集合した私は、観光バスに乗車し東北へ向け出発しました。これから4日間、この東京バスで移動することになります。ちなみに、このプログラムには200名近くの学生・教授が参加しています。

圏央道、関越自動車道、北関東自動車道、東北自動車道と走り、大谷パーキングエリアで休憩です。せっかくなので栃木県名物のレモン牛乳を購入しましたw 初めて飲みましたが、けっこうおいしかったです。

大谷パーキングエリアを出発すると、すぐに福島県に入ります。すると、「震災復旧中段差あり走行注意!」という表示が出現、しだいに道路状況が悪くなり、車線規制がされている区間も出てきました。東日本大震災が発生してから半年が経過してもなお、未だにこのような状況なのですね・・・。

鶴巣パーキングエリアで2回目の休憩です。「復興支援ありがとうございます」という看板が立てられていました。

6時間以上掛けて世界文化遺産に指定されたばかりの平泉に到着しました。この日は中尊寺の観光をして終了です。残念ながら、まともな写真はこのくらいしか撮れず・・・。
ただ、中尊寺内には東日本大震災の被害は見られませんでした。

プロジェクト1日目は平泉駅近くのホテル「武蔵坊」に宿泊しました。

就寝までに自由時間があったので、徒歩で平泉駅に行ってみました。ちょうど改修工事中で駅舎を見ることはできませんでしたが・・・。しかし、夜間無人駅なのには驚きました。
プログラム1日目は無事に終了しました。次回の記事ではプログラム2日目の様子を書いていきます。
なお、ただいまインターネット回線が不安定なため、予告なくブログの更新が止まることがございます。ご了承ください。
私が通っている帝京大学では、9月12日(月)~15日(木)の4日間、東日本大震災によって被害を受けた東北地方の復興に寄与するため、「大震災に学ぶ特別教育プログラム」が行われました。具体的な内容としては、菜の花畑を清掃するなどのボランティアを行いながら、同時に観光をするというものです。
私も少しでも被災地の役に立てればと思い、このプログラムに参加しました。
その時の様子を、数回の記事に分けて書いていきたいと思います。
なお、このプログラムに出発する前日にビデオカメラの液晶画面(ファインダー)が全く写らなくなってしまうというトラブルが発生してしまいました。そのため、プログラム参加中の写真は、私がカンで被写体を捉えて撮影しています。一部にお見苦しい写真があるかと思いますが、ご了承ください。

9月12日(月)9時、帝京大学に集合した私は、観光バスに乗車し東北へ向け出発しました。これから4日間、この東京バスで移動することになります。ちなみに、このプログラムには200名近くの学生・教授が参加しています。

圏央道、関越自動車道、北関東自動車道、東北自動車道と走り、大谷パーキングエリアで休憩です。せっかくなので栃木県名物のレモン牛乳を購入しましたw 初めて飲みましたが、けっこうおいしかったです。

大谷パーキングエリアを出発すると、すぐに福島県に入ります。すると、「震災復旧中段差あり走行注意!」という表示が出現、しだいに道路状況が悪くなり、車線規制がされている区間も出てきました。東日本大震災が発生してから半年が経過してもなお、未だにこのような状況なのですね・・・。

鶴巣パーキングエリアで2回目の休憩です。「復興支援ありがとうございます」という看板が立てられていました。

6時間以上掛けて世界文化遺産に指定されたばかりの平泉に到着しました。この日は中尊寺の観光をして終了です。残念ながら、まともな写真はこのくらいしか撮れず・・・。
ただ、中尊寺内には東日本大震災の被害は見られませんでした。

プロジェクト1日目は平泉駅近くのホテル「武蔵坊」に宿泊しました。

就寝までに自由時間があったので、徒歩で平泉駅に行ってみました。ちょうど改修工事中で駅舎を見ることはできませんでしたが・・・。しかし、夜間無人駅なのには驚きました。
プログラム1日目は無事に終了しました。次回の記事ではプログラム2日目の様子を書いていきます。
なお、ただいまインターネット回線が不安定なため、予告なくブログの更新が止まることがございます。ご了承ください。